動態保存!自走できる(新製)気動車としては日本最古参 旧尾小屋鉄道キハ1 1937(昭和12)年製
尾小屋鉄道は北陸本線の小松から尾小屋まで16.8kmを結んでいました。尾小屋鉱山の鉱山鉄道として1920年に開通し、尾小屋鉱山は1971年に閉山されましたが、尾小屋鉄道はその後も走り続け、1977年に廃止になりました。最後まで762mm軌間の軽便鉄道で、非電化の軽便では日本で最後の営業路線でした。
(↑ 係員さんのお話しでは、この車庫横に置かれているエンジンが、元々キハ1の改修工事前に付いていた原型エンジンとのこと…)
私は「機芸出版社」の「ナローゲージモデリング」で、小学生時代(1980年頃)から、この鉄道の存在を知っていました。
廃止から40年以上が経過していますが、廃止時の多くの車両が今も保存されています。
「いしかわ子ども交流センター小松館」では「なかよし鉄道」という名前で、
動態保存運転を行われています。主に1937(昭和12)年製のキハ1型が運行に使われています。
(↓ 出発時刻表)
キハ1は、自走でき、定期的に動態保存運行している新製車両の気動車としては、日本最古参になると思われます。1937(昭和12)年製の日本車輌製です。
(元頸城鉄道のホジ3は1931年、木造客車からの改造車で新製ではなく、今のところ定期運転ではないようです…)
同じく日本車輌製で、似た小型の車両が日本全国の軽便線や遠く台湾の製糖軽便鉄道でも大活躍していたようです。
原型の機関はウォーケンシャ6MLガソリンエンジンで変速方式は機械式(マニュアル式)。
2つある台車のうち片方が駆動台車でボルスタ(揺れ枕)と心皿の位置を車両内側に寄せて
走行時の粘着性を増大させるように工夫されている。このため、車体が前後非対称。
昭和28年にエンジンをディーゼルエンジンに換装し、昭和30年代に別のディーゼルエンジンに換装。
変速機はディーゼル化後も機械式のままで、液体変速に改装されたのは動態保存後の平成12年だったとのこと。
現地の係員さんのお話では、小松バスさんや名鉄自動車整備さんの協力でいすゞ製の部品を使用したとのこと。
ブレーキは空気自動ブレーキとハンドブレーキです。
さすが、鉄道のプロ、名鉄さんが改造されたこともあり、本格的に応急用の保安ブレーキまで装備されていました。
どうも変速操作機器が見当たらないことから、高速走行は無いと判断して、低速ギアのままで固定しているのではないかと思われます。
廃線まで運行され、廃止後は粟津の小松市児童館で保存されていたそうです。
しかし、露天での保存であったため、車体の損傷が進み、ある年の大雪で天井が損壊し、
解体も止む無しという状態にまで陥ってしまい、尾小屋鉄道を守る会などの有志の手により、修復され、動態にまで復帰したそうです。
この修復の際に整備しやすいように屋根の両端を切り妻状とし、雰囲気が変わりました。
↓ 現在は車両や施設は石川県の保有となり、ご覧の通り立派な車庫に格納されて大切にされているようですね。
現在は冬季をのぞき水曜日と土曜日に1日2本ほど運行されています。
↓ 昭和の軽便ローカル線の雰囲気が満喫できる車内。
2020年7月時点では、発車20分前から駅舎ではなく、本館の受付で、受付を開始し、番号札を発行するシステムになっていました。
↓ この時代のローカル線用気動車の特長、半室運転台で乗客の展望席?付き!ステキです!
「なかよし鉄道」というからには、子供たちの鉄道ですから、私(=鉄オッサン)は、控えめに、子供たちを優先して、最前部は、子供たちで満席でしたので、私は後部席に座りました。「なかよし鉄道」の運行は、そのまま折返し運行なので、復路は後部が先頭になります(笑)ので、 ↓前面展望できましたよ!
【余談】「いしかわ子ども交流センター小松館」の展示スペースの端に貴重な展示品を見つけました。三菱から寄贈されたと思われる日本国鉄の初期の試作ディーゼル機関車DD91型の大型模型です。現在は展示されておらず、展示室のテーブル等の道具類に塞がれていました。
私個人は、この時期の初期の国鉄ディーゼル機関車の存在感あるデザインは好きで、模型も持っています。不要なら、JRの博物館に寄贈されたら良いかも・・・。
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