【特制=必殺!!徐行区間連続】芸備線 最深部 道後山⇒備後落合へ
私は芸備線の最深部、道後山付近が未乗だったのですが、運行本数が1日数本しかなく、なかなか機会がありませんでした。2020年7月芸備線の増発社会実験があり、447D新見7:17発、備後落合行きが臨時運行され、接続が良いので、試乗に行くことができました。
伯備線の始発に乗るため、倉敷で宿泊。
倉敷グローバルホテル、なんと!1泊2200円。ワイハイ(笑)!は完備されていますが、
普通のビジネスホテルの半分しか面積がありません。でも寝るだけなら…。
伯備線の始発電車は西出雲行き。魔改造クモハ君ですね。初めて乗ります。
サンパチ君の時より、改造が上手くなったように思います(笑)。
クロスシートは旧式タイプ。
車端は、お手洗いと機器箱が占領。
新見で芸備線に乗換えます。
今回は社会実験の増発があり、助かりました…。
方向幕は未だに手動…。
元々、このJR西日本のローカル線の主役キハ120にはお手洗いはありませんでしたが、改造で取り付け。私たちのような長時間乗る「乗り鉄」には大変、ありがたいです。このお手洗い装置、いかにも簡易型で、入院病棟で見るオマルのような…。水の流れ方も最近の設備には珍しく、弱い水流がジワ~ジワ~…と。面白いお手洗い設備です。
超!秘境駅の布原に停車します。
秘境駅として知られる伯備線 布原駅。
布原駅は新見駅と備中神代駅の間にある伯備線の駅。しかし、伯備線の普通列車はすべて布原駅を通過します(※運転停車を除く)。布原駅に停車するのは、東城方面へ直通する芸備線の列車1日数本のみ。伯備線の駅でありながら、伯備線の電車は停まらない布原駅なのです。
布原駅のある伯備線の備中川面駅と足立駅間は、昭和3(1928)年に開業、布原駅の開業は、半世紀以上経った昭和62(1987)年。国鉄の分割・民営化と同時期。前身である布原信号場は、昭和11(1936)年に設置されたそうです。ちなみに、芸備線の備中神代駅から西の矢神駅までが開業したのは、昭和5(1930)年でした。
↓ 【前面展望】新見(伯備線)→布原(秘境駅 特急やくも交換)→備中神代→坂根(芸備線) ※芸備線区間には必殺!徐行区間あり。
途中の唯一の大きな集落「東城駅」でしばらく停車しました。
国鉄時代は客レで新見⇔広島を直通するダイヤもありました…。
ステップが付いているキハ120でも、まだホームに届かない…。
跨線橋は老朽化で危険!とのこと…。
今回の芸備線増発に併せて、ローカルバスも増発しているようですが、
駅前には人一人誰もいません。厳しい現実です。
小型バスが2台駅前車庫に…。人の姿は皆無です。
「東城駅前」から福山行は平日でも1日3便。
さあいよいよ!芸備線の最深部 道後山⇒備後落合へと向かいます。
1935-1936(昭和10-11)年に開業した区間で施設が古く、中国山地の山中を走行するため、危険回避のための必殺! 徐行区間が連続します。
25km徐行区間に入る際の運転席の液晶表示には徐行区間で「特制!」と表示されていました。特別制動の略でしょうか?
↓ 動画もご笑覧下さい。
【特制=必殺!徐行区間連続】【前面展望】芸備線 道後山⇒備後落合(木次線同時進入!)⇒比婆山へ
乗り換え列車の備後落合始発9:09→三次行き355Dは備後落合出発時点で、
他客ゼロ。私一人。なんと!私の貸切状態!!
芸備線の前途は厳しそう…です。
↓ この355D、令和2年豪雨災害の臨時減便ダイヤでは、備後庄原8:22着9352Dから回送→備後落合で折返すだろうと思われるダイヤ、折返し余裕時間はギリギリだろうと予測、案の定、ギリギリ4分前に到着。木次線と同時進入!でした。
水害で運休になり、三次駅に閉じ込められたキハ40系たち。
一部は新見経由で回送されて広島に戻しているようです。
芸備線 令和2年7月豪雨災害で、運休中の三次⇔下深川の代行バスはJRバスさん担当。
私は三次⇒広島へは備北さんのハイウェイバスでワープ!
さあ、旅も終わり。節約で、鈍行で九州に戻ります。
鈍行といっても115系3000番台等、転換シート車が多いので、快適!
車内で広島お好み焼きで昼食、爆睡して九州へ帰りました。
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